私がマルセイユ・タロットを学びつづけている理由

2006年11月3日 偶然、マルセイユ・タロットと出会いました。

まさか、その時にこんなに人生をかけて学ぶことになるとは、微塵も思っていませんでした。いわゆるスピコンのような場所で、お茶を飲む代わりに座ったブースが、マルセイユ・タロットのリーディングをしてくれるブースでした。自分の問題を自分で観ることができ、解決することができると教えていただき、2007年にはタロット初級講座を受講していました。

今、2020年7月。学び続けて14年になります。3人の子育てをしながら、パートの収入でなんとかやり繰りしつつ、2009年からはリーディングを有料でさせて頂き、パートをやめて学び続けてきました。私にとって様々なリーディングを重ねさせて頂けたことは、学びには不可欠なことでした。

マルセイユ・タロットは読み方が決まっている訳ではありません。自分の心の境地が変化し深まれば、タロットが語り掛けてくることを深く理解できるようになっていきます。自分の心の成長を止めたら、タロットはそれ以上のことを語り掛けてはきません。

タロットを読むということは、タロットが語ることを聞くことなのです。タロットが語り掛ける深淵な世界を知るには、自分がその深淵な世界について、少しずつ理解を深めていかなければなりません。自分の知っていることを超越していることを理解するということです。これは人生をかけるのに値するほどの冒険です。

もうひとつ、私が学び続ける理由は責任です。私はおっちょこちょいな性格ですから、学んでたった2年で早々にリーディングでお金をいただいてしまいました。そのお蔭で、学び続けることができましたし、実際のリーディングをさせて頂いているお蔭で、リーディング力は養われました。これは現在もそうです。しかし、今思えば、10年前の未熟な自分のリーディングにお金を頂いていました。その時は、自分の精一杯でした。今も完璧であるはずがありません。リーディングをした事実は変えられませんが、そのリーディングを経験という宝にさせて頂く以外に未熟なリーディングに報いる方法はないと思っています。

自分の知らないことをひとつひとつ認識していくこと。これは未知の山に登っていくことに似ているのかもしれません。少しずつ登ることによって、世界の見え方は確実に変わっていきます。しかし、一人では登ることは難しいのです。目指している山の頂すら見えないのです。地図はタロットです。そして必ずガイドである先生が必要になります。

私が長くマルセイユ・タロットを学び続けていられるのは、師匠たちのお蔭です。大沼忠弘先生 大沼澄先生にはどれだけ感謝をしても足りないのですが、先生方だけではなく、人としての形はもう持っていない、多くの多くの人々や存在たちのお蔭です。真髄の一滴でも受け継ぐことができたら、私が学ばせて頂いた意味があるのではないかと思っています。

学び続けているのは、そこに真理があると気づいてしまったからでしょう。他にも道はあると思いますが、もう私の人生折り返し地点です。他の道を探すほど悠長なことを言ってはいられないのが現状です。何よりタロットに出会う前の自分には、もう戻りたくない。これが一番の学び続ける理由だと思います。