私は何か?という問い

中学生の頃、天体に興味を持ち、親に無理を言って望遠鏡を買ってもらいました。
藤井旭氏の星座を見つけるコツの本を片手に、星空を見るのが好きでした。
アンドロメダ星雲は254万光年遥か彼方にありますが、今見ている光は254万年前の光ということになります。

その不思議を今も鮮明に覚えています。
人の生死など瞬きのようなものだと感じ、自分のすることに意味があるのか?などと考えていました。

子供だった私は、ニヒリズムを感じたりしたものです。

人類は偶然にサルから生まれたのか。人類は人類として地球にしかいないのか。という問い。

苦しむために生まれてくるのはなぜか。神がいるのなら、なぜ苦しむような世界を作るのか。
この苦しさからどのように脱出したらよいのか?
いつか死ぬのに生きる意味があるのか?

気になりませんか?一見堂々巡りのようなこれらの問いに、答えをくれるのがマルセイユ・タロットです。

マルセイユ・タロットとの人生の旅はまだまだ続きます。私の問いに答えてくれます。

私がその答えを理解できるかどうかは別にして。
心の中のつまらないと思えるような悩みの問いが、それまでの人生を鑑みる大きな気づきになったり。
そんな質問を今までしたことがない。というような問いが自分の中から生まれたり。
私とは何か。霧の中で光を見るような、かすかではあるが、確かな。
その問いの旅は続きます。


マルセイユ・タロットと出会いませんか?
あなたの問いを自分でタロットに聞いてみませんか?
霊感もいりません。難しくもありません。
自分のことを誰かに聞く必要はなくなります。
自分で自分を発見し、自分で自分を変容させて、人生の意味を発見していく。
これほど自信になり、楽しいことはありません。
迷いを決意に。